皆様、こんにちわ 秋晴れの三連休最終日如何お過ごしですか?
八ヶ岳南麓にある清里は、もちろん四季を通じて楽しく、景色も
素晴らしいのですが、私たち住人にとっては、秋は特別に思い深い季節でもあります。
今日は、その理由と共に清里の歴史についてご紹介していきます。
目次を読む
清里の歴史、安池 興男氏の功績
清里は現在、北杜市高根町清里が正式に呼称になっていますが、清里にお住まいの方は
よく「おばあちゃんは樫山の人だよ」、「うちは浅川だよ」という言い方を時々耳にします。
清里はさかのぼる事、1875年明治8年に樫山村と浅川村の合併により誕生しました。
1938年には、東京都西部の西奥多摩地区に東京の水源確保の為のダム建設により、
ほぼ強制的に丹波山村の28世帯と小菅村の方々が清里の念場原開拓地へ入植し
苦難に満ちた開拓の歴史が始まりました。当時、農林省から山梨県へ
農業指導の為に出向し入植者たちを励まし支援した安池 興男氏と云う人物がいました。
彼は自費により肥料や種苗を調達し入植者たちに寄り添い、彼らを支え続けました。
当時子供達が通う学校が遠く、通学に危険があり、また入植者である事でいじめられたり
したために清里小学校(分教所)を建てるために奔走した記録が残っています。
清里は「山梨の北海道」とも呼ばれ、標高1200mの高地での農作物栽培の難しさや、
八ヶ岳の噴火によって生まれた岩や石の撤去、水の安定供給の為の土木工事、
土地の開墾による体力の消耗とマイナス20℃近い冬場の気温により病気を発症し
致命的になってしまい、亡くなる方も多かったと聞きました。
清泉寮とポール・ラッシュ博士
戦後、国は食料難の解決策として地方の開拓政策に積極的に取り組み、現在の朝日ヶ丘地区、
東念場地区、下念場地区と入植者は増え続けたのですが、政府によるあらゆる補助は、結局の
ところ、開拓者たちの借金になり、多くの清里入植者達は後々まで苦労したそうです。
戦後まもなく立教大学のポールラッシュ博士が、戦前に聖アンデレ同胞会の本部施設、
指導者訓練キャンプ場を建設し清泉寮と名付けた場所に、
戻ってKEEP(清里教育実験計画)を基に農村コミュニティ事業に取り組みました。
ラッシュ博士はこの事業の為に、度々米国に戻り、寄付を募ったと言います。
米国の篤徳家からトラクターの寄付を受け、粗食と寒さに耐えうる家畜として
ジャージー種の牛の提供を受けたのです。これらは今の清里のアイコンでもある、
ジョンディアトラクター(開拓の印、グリーンのボディに黄色いホイール)と
清里のジャジーミルクソフトクリーム、清里高原の名物となって多くの観光客に
愛されています。ポールラッシュ博士の尽力と、ロックフェラーなどの米国有力者の寄付、
そして多くの名も知らない人々の無償の援助により、このKEEP(清里教育実験計画)は、
1955年に財団法人キープ協会となったのです。そしてこの八ヶ岳地域の開発の中心となり、
全国の地方復興の手本ともなり、現在の清里の人々の精神的支柱であり、
生活の中心にあるといっても過言ではありません。何故なら、多くの雇用を生み、
子供達の多くはこのKEEP協会にある清里聖ヨハネ保育園に通うからです。
さらに時代は下って1970年から1980年代の「アン・ノン」ブームを経て現在に至ります。
このブーム時には、年間250万人の観光客が清里に訪れ、
最盛期は清里駅前の土地坪単価は500万円にまで高騰したそうです。(2017年は坪1万円)
八ヶ岳、特に清里エリアが移住に適している理由
この清里高原が他のリゾートエリアと違うところは、民間企業による開発が中心となった
リゾートエリアではなく、先ほどご説明した、二人の偉大な人物、安池興男氏と
ポールラッシュ博士による開拓の指導者によるところが大きく、筆舌に尽くしがたい苦労
を経て開拓に従事した多くの方々のおかげで今日の清里の風土があるという事です。
企業開発型のリゾートと比較して、洗礼はされていないかもしれないが居心地の良い
環境、助け合わねば生きて行けない厳しい時代を超えて、共助と信仰の理念が根底に
息づいている町だと感じます。それを肌で感じる事が出来るため、新しい生活を求め
移住してくる人々が後を絶ちません。
前回ご紹介しました「萌木の村」やこのKEEP協会もそうですが、
他所からの資本注入によってにわかに開発された観光スポットや企業ではない為
業績悪化や景気によって容易に撤退や消滅しないサステイナブルな雇用先となっています。
本当の意味で「地方創生」を実践しているエリアだと思います。清里開拓の話にも書きましたが
行政や政府はすぐに補助金や助成をうたい安易な計画によって移住促進や地方を活性化しようとしますが
忘れないで頂きたいのは、それは我々が納めている税金を流用して行っている事です。
更に移住した後には何のフォローもありません、その為移住後に再移住せざるを得ない
ケースが多発しているのも事実です。たとえ、行政主導であっても悪質な移住促進には
注意していただきたいです。
「ポール・ラッシュ祭カンティフェア」とは
話はそれましたが、清里はこれからのシーズン多くのイベントが開催されますが。
その中でも大きなイベントともいえる「ポール・ラッシュ祭カンティフェア」
参考にHPをご覧ください こちら クリックしてみてください。
「ポール・ラッシュ祭カンティフェア」は分かりやすく言えば収穫祭という事になります。
先ほど書きました開拓の歴史の中で、入植者たちが、秋の収穫時期に丹精込めた農作物を
お披露目する為、品評会を開催し酪農・農業技術の情報交換と農作物の収穫を神様に感謝する事を
コンセプトに始まったそうです、清泉寮は今年80周年を迎え、このカンティーフェアにも力が
入っています。子供達はこのフェスティバルの為に、合唱を練習したり、物販(ビオラの苗)を
格安で販売する体験を毎年行ってきました。残念ながら行政主導により高根清里小学校は
来年廃校になる為、今年最後の参加になる様です。私の子供も保育園児の合唱と小学生は
ビオラの販売体験に参加します。文字どおり、清里が全力で取り組む大きなフェアです。
清泉寮前の牧草地が開放され、開拓のシンボル「ジョンディア トラクター」で行進し
あちらこちらでライブやパフォーマンスがありブースで雑貨や飲食の販売もあります。
皆牧草に寝転んだり腰を下ろして、富士山と八ヶ岳を眺めながらゆったりと過ごす2日間、
今年は10月13日と14日、リーフをアップしますので参考にどうぞ。
ポール・ラッシュ祭~八ヶ岳カンティフェア~2018 – 月見里県 星見里市(山梨県 北杜市)公式サイト
https://www.city.hokuto.yamanashi.jp/tourism/event/calendar/7452.html
清泉寮ジャージハット、リニューアルオープン
さらに今年は清泉寮ジャージーハット(お土産やソフトクリームの販売があるカフェテラス)
が新しく建設されて7月にオープンされました。
お土産も種類が豊富!
お土産にジャージー牛乳やヨーグルトは如何でしょう?
何故だか我が家の子供達に大人気のヤマネのぬいぐるみ、家に5~6個はあります。
広いデッキテラスは清里の牧草地帯と遠くの富士山、甲府盆地に南アルプス山脈も一望できます。
何故かは分かりませんが、足湯も完備(昔からあったのですが)
今日連休の最終日に様子を伺ったのですが、大盛況でヨカッタ!
八ヶ岳と云えば、小淵沢町や甲斐大泉町、長坂町甲斐小泉と色々な町がありますが、清里は
やっぱり素晴らしい!でもこの特色ある町が集まって北杜市となっています、それぞれのエリア
にそれぞれの歴史があり、それが多様性となって八ヶ岳南麓の魅力に繋がっている事は、
訪れてみれば肌で感じます。是非二三日と云わず、一週間、一か月とこのエリアをじっくりと
味わって頂くと、人気ナンバーワンの移住先だという事が分かって頂けると思います。
ただ、この人気は市政によるものでなく、ここを切り開きより良くしようとして来た
先駆者達の苦労と優しさが今のこの八ヶ岳の財産だという事をご理解頂けたらと思います。
長々と書きましたがお読み頂きありがとうございます。
私、現地スタッフ山田が八ヶ岳山麓生活の日々をインスタグラムで紹介しています。
ご興味がございましたら、チェックしてみてください。
www.instagram.com/yatsugatake_foot になります。
よろしくお願いいたします。
本日紹介しましたエリアの物件情報はこちらをクリック↓
又、日本マウント現地スタッフが総力を挙げてお届けする、地域の旬の話題はこちら↓
利用しなくなった別荘、相続した不動産、どうすれば? こちらをクリック↓
別荘・不動産売却の相談は
この魅力あふれる八ヶ岳での別荘ライフをお手伝いする、
日本マウント株式会社 お気軽にお問い合わせください。
投稿者プロフィール
-
10年前に東京から八ヶ岳に移住してきた、三人娘の父。
山の中のギャラリーを運営中。
コメント