こんにちは、静岡岩本です。
徳川家康の駿府城の下に豊臣政権下で築かれた城が存在していた事が確定しました!!
先日のブログで、徳川家康の駿府城が江戸城より大きかったことをお伝えしました。また、家康が秀吉の命令で関東に領地を移したときに家康の留守に豊臣方の家臣が城主を務めた際に築かれた時の金箔瓦が10点ほど見つかった事も記事にしましたが、その後発掘が進み今回、なんと330点の金箔瓦が見つかり、古い石垣も見つかったので豊臣時代の特徴と決定され、「秀吉の城」があったことが確定的になりました。
発表された静岡新聞10月16日の夕刊の記事です。
裏付ける遺構がなく史料不足で「幻の城」とされてきました。
豊臣秀吉が家臣に築かせた城の存在は何年か前から推測されてきていましたがが今回の発見で幻ではなくなりました。
駿府城へ移ったばかりだったが秀吉からの命令で関東へ領地を移し、監視が託された。
10月17日の新聞の朝刊ではでは駿府から家康を追いやったとしている!!
1582年に本能寺の変で織田信長が死去したのち、明智光秀を討った秀吉が勢力を拡大し、織田家臣たちとの戦いを経て1586年に天皇から豊臣姓を賜り豊臣政権が確率する。徳川家康は秀吉の家臣となり、それまで17年間過ごした浜松城から駿府城は1585年頃から築城を開始している、駿河国の駿府城へ移った。
その間に秀吉の家臣・中村一氏(かずうじ)が城主を務めた。そしてこの時に秀吉の支援を受けて金箔瓦の城を築いたとされている。
今回の大発見では秀吉が家康を威嚇するために金箔瓦を使い豪華絢爛な城を築いたようですが、これで豊臣秀吉の城があったことの裏付けられたとされています。また、歴史的にも秀吉が家康を相当意識して脅威に思っていたから、駿府に秀吉の力を見せつけるために金箔の城を築かせたと事がわかりました。
駿府城の歴史です。ご参考までに。
自分がまとめたものです。
今回発見された金箔瓦は330点ほどですが公開は一般公開はまだされないようですので新聞に掲載された写真です。この金箔瓦が豊臣の時代の特徴を表しているとされています。先日のブログで紹介したそれまでに見つかった金箔瓦よりも豪華なものです。
先日のブログでご紹介した展示してあった瓦は金箔がぽつぽつとあるくらいでした。この時点ではまだ、決定的ではありませんでした。
どこから見つかったか?
「秀吉の城」の天守台は下の図のピンクの囲み部分、金箔瓦は茶色の丸囲みの部分です。
この発見の現場が臨時公開されるということで早速、発掘現場に行ってみました!天気も良く、新聞を見て来られた見学の方が大勢いました。前回見学した時は見学者が2組しかいなかったので「世紀の大発見」効果はすごいです!
見学ゾーン〈上の図の”金箔瓦が”の文字のあたりが見学ゾーンの入口です〉に入ってすぐを右に家康の天守台の横を進みます。上の図の緑色の囲みの下側になります。見学の人が大勢いるところはピンクの囲みの周りです。
見学者をかき分けて写真を撮ってみました。調査員の方が拡声器で説明をしてくれています。
「静岡市にかっての天下人2人の城が同じ場所に2つある」これは紛れもない事実で全国どこを探しても唯一ここだけなので、皆さんどうぞ自慢してください!
と力説されていました。本当にうれしい事ですね。
この写真では写っていませんがブルーシートに描いた赤い矢印の方向〈上の新聞の位置図では茶色の丸い部分〉に金箔瓦が埋まっていたそうです。330枚ほど発見されましたが、まだまだ、たくさん埋まっているそうです。くれぐれも掘りに来ないようにユーモアを交えて説明されていました。今回は、金箔瓦を全部掘るのが目的ではなく、秀吉の城があったことの証明になった事実が見つかったことで今回の調査はここまでだそうです。
下の写真では、後ろ側の秀吉の天守台は、古い時代の積み方で、自然石を積み上げた「野面積み・のづらつみ」で、崩れやすく上の図のように傾斜も緩やかになっています。
それと比較すると、手前の家康が建てた駿府城の天守台は石の表面が平らな「打ち込み接ぎ・うちこみはぎ」という積み方で石と石がしっかり組まれていて傾斜は急になっています。江戸から戻った家康が駿府城の大改修をした時の石垣で、秀吉の天守台の頃より10年以上経ってるため、家康の時代は技術が進んできた事がわかります。家康がこの駿府城の改修をした時に、秀吉の城を埋めてしまいました。家康は、豊臣の色を消すために秀吉の城の上に駿府城を築いたと考えられています。1610年に家康の天守が完成しています。
秀吉の天守台のそばからの写真です。茶色のシートの右側です。<長い影は外灯です。>赤いコーンで天守台の位置を示しています。
秀吉の城の大体の大きさ。手前は家康の天守台
調査員の方の説明を一通り聞き、展示館「きゃっしる」の方へ行ってみました。こちらは前回のブログでも紹介しています。館内のビデオでは駿府城の歴史の映像を流しています。
きゃっしるを出て、発掘現場の全体が見えるところ行ってみました。秀吉の城のところに大勢の見学者が見えます。
今後の整備方針は?計画通り復元か?
①当初の計画では2019年に発掘調査を完了し、天守台を復元し、駿府城公園を整備する。市長は市民の意向もあり将来的には駿府城の天守閣の再建を望んでいる。
歴史的価値のある、「秀吉の城」の保存は?専門家のご意見は?
②「小和田哲夫さん・静大名誉教授」によると、2019年の調査完了後もさらに発掘をすれば「今川館」の跡も見つかるのでは?と期待している。個人的には、駿府城の天守閣再建には、正確な史料がない為、想像で建てることには反対している。天守台などわかった部分については石垣で忠実に復元することが望ましいのでは?
③「加藤理文さん・日本城郭協会理事」によると、公園の整備に向けては、復元や埋め立てはせず、本物のそのままの形で「家康の城」と「秀吉の城」の天守台を同時に見せられる整備にした方が良いのでは?
さて、どうなるのでしょうか?楽しみです。
いずれにせよ、あと1年ありますので他にも何か大発見があるかもしれません。期待していたいと思います。
この日、天気も良く駿府公園は、静岡まつり以来のにぎやかさでした。
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