皆様こんにちは、八ヶ岳現地担当スタッフの山田でございます。
緊急非常事態宣言が解除されて長い自粛期間が一部解除ですが、
皆様本当にお疲れ様でした。まだまだ予断を許さない状況下では
ありますが、少し心が軽くなった気がします。
ここ八ヶ岳は関東でも有数の観光圏でありますが、他のリゾート
エリアと同じく甚大な経済被害を受けております、
今後もこの感染症による地方経済への影響は続くとみられており、
多くの観光関連業の倒産、廃業の話を身近に聞くようになりました。
病気による命の危険か経済危機による命の危機か、悩ましい限りです。
私の店でも、時間短縮と予約による営業、入場者数制限を設けて営業を
続けて参りましたが、「緊急非常事態宣言解除」を受け、新たな段階に
入りました、政府の提唱するところの「感染リスクコントロール」
ですが、「3密」の環境改善を柱に衛生面の施策も含め設備の導入
や来客者の動線シュミレーションなど、取り組む課題が山積みです。
何とか、新しい生活様式を導入して、感染第2波を阻止したいところです。
さて今回は、4月2日に調査して参りました物件のあるエリアの紹介と
物件調査報告を二回に分けてご紹介したいと思います。時間が経って
しまいましたが、(やっとご紹介出来る事になりました。)
よろしくお付き合い下さい。物件場所は北杜市大泉西井出になります、
先ずは物件のあるエリア大泉町のご紹介からです。
北杜市大泉町沿線
2004年11月の平成大合併以前は、北巨摩郡大泉村でありました。
1875年(明治8年)巨摩郡谷戸村と西井出村が合併し大泉村になり
1878年(明治11年)大泉村は郡区町村編制により北巨摩郡の編制、
1889年(明治22年)には大泉村単独で自治体となり、前出の2004年
の北杜市になるまでの115年間の自治体としての歴史があります。
大泉及び周辺の歴史
八ヶ岳の南麓エリアのほぼ中心に位置する大泉は、縄文時代
の遺跡が数多くあり、特に谷戸金生には金生遺跡(キンセイイセキ)
があります。特徴としては縄文後期の集落跡と祭祀施設、中世の城跡が
複合した遺跡として発掘されました。特質すべきは、動物遺体のうち
猪の幼体の下顎の骨が多く出土し、宗教儀式が行われたと推測されています。
平安期には甲斐国巨摩郡逸見筋と云う区域に属し、良馬の産地とされ
逸見牧と呼ばれたこの地域に甲斐源氏が派遣され、源義清・清光親子が
逸見姓を名乗り大泉谷戸に城を築き拠点とした。(甲斐国志)
下って戦国時代、甲斐源氏の流れをくむ武田氏は信濃攻略の足掛かりと
してこの地方に「棒道」と呼ばれる軍用道路を作り、前出の谷戸城を
信濃方面への出兵拠点とした、1540年には武田信玄の妹、禰々御料の
諏訪氏へ化粧料として県境である、諏訪郡富士見町の葛窪・蔦木・先達
など土地を譲り、甲斐国と信濃国の境となりました。現在は信濃境という
地名になっています、面白いですね! 戦後、食糧難から大泉を中心に
小泉、長坂、高根、小淵沢の八ヶ岳南麓の高原エリアに入植が盛んに
行われたが、厳しい環境の為、なかなか地域の農政は安定しなかったそうです。
高度成長期に入って人々の暮らしが安定し始めると、八ヶ岳高原は、他所には
ない観光資源が注目され、ペンションや観光牧場、高原野菜の栽培等によって
地域の経済の柱を得る事となりました。
峡北の郷
1878年(明治11年)郡区町村編制により山梨県は巨摩郡の内44村を
北巨摩郡とし2006年(平成18年)に北杜市に小淵沢町が編入され、
郡は消滅しました。この北巨摩郡と北杜市に隣接する韮崎市総称して
「峡北」と呼び、郡の消滅した今もこの地域を指す呼称として多くの
山梨県民に使われています。この「峡北」と呼ばれる言葉を聞くと、
今回の物件調査に伺った大泉町西井出の原風景を思い浮かべる方も
多いと思います。
大泉地区地理的特徴
八ヶ岳南麓は、200万年前から1万年前の間に噴火を繰り返し
隆起した時に出た噴石を除去した先人たちの気の遠くなるような
忍耐と苦労の結晶であり、近代の戦後復興による開拓者の圃場整備の
時代まで延々と行われてきた結果出来上がった美しい田園風景と
南に広がる谷戸郷と南アルプスの眺め、そして遠望すれば南東に
甲府盆地と富士山を望み、振り返れば八ヶ岳連峰の雄大な景色が
この地がたぐいまれなる優れた環境である事に気づかせてくれます。
それは東西に長い八ヶ岳山脈の南端のごく一部の土地が長い日照時間に
恵まれ、南にある巨大な山塊であるアルプスとの絶妙な距離が
この風光明媚な景色を創っている事、そして縄文時代から人の営みの
絶えない災害の少ない土地として、常に人を惹きつけてきた場所が、
この「峡北の大泉西井出」なのです。大泉町は大きく二つの地区に
分かれており「谷戸」と「西井出」になります。
地理的には北端部を八ヶ岳主峰赤岳(2899m)で長野県と接し、南端部は、
県道28号線、ドイツパンで有名な「バックスハウスインノ」さん付近の
標高763mで、大泉町の標高差は実に2136mになります! 東西には短く
南北に長い帯状の形状で町の面積は約63km2、人口は約5200名、町北部は
殆んど山林で人口は南部に密集しています。大泉中心部は、町の東西を走る
県道608号周辺で、金田一春彦記念図書館、大泉小学校と保育園、大泉総合支所
そしてテレビでも良く紹介されている「ひまわり市場」がある一帯が中心地と
云えます。
物件周辺の利便性
物件からこの中心部(総合支所)、金田一春彦記念図書館と大泉小学校、
大泉保育園へは標高差なく水平移動で、車だと約4分、徒歩だと15分で到達できます。
この図書館は、以前もご紹介したと思いますが、この大泉町に別荘があり八ヶ岳を
こよなく愛した金田一春彦先生はは言語・国語学者で国語辞書の編纂でも知られた
研究者ですが、1913年生まれ2004年他界されるまで、日本の言語、特に方言について
研究された方で、彼の持つ膨大な蔵書が寄贈され、この図書館に名前を残しました。
とっても素晴らしい図書館で、学校帰りの子供達や、本を楽しむ人たち、プールも
併設されているので、いつも多くの人で賑わいます。何よりもライブラリーから、
「富士山」・「甲斐駒ヶ岳」が一望できる、大泉ならではの図書館です。
この施設の素晴らしい所は、児童書専門の部門があり、
児童館の様な役割も兼ねています。イベントも多く開催されており、
読み聞かせや文化サークルもあるので、充実した施設です。
この施設からすぐのところに、大泉郵便局と医療施設として
大泉中央診療所があります。内科・精神科・歯科・
(皮膚科・耳鼻咽喉科・週一診療)といった診療科目ですが、
特に皮膚科と耳鼻咽喉科は周辺の医療施設では非常に少なく重宝しています。
詳しくはこちらがHPになっています、大泉中央診療所
大きな病院に行くまでもない時、ちょっとした不安がある時は
非常に助かります。地域に根付いた診療所で、直ぐ側に薬局もあります。
総合病院に行き長時間待つ事を考えると先ずは診療所で見てもらい、
総合病院の甲陽病院(車で6分)に受診するという事が可能です。
お子さんがいる場合、地域では信頼されている、いいづか子供クリニック
(車で6分)が近くにあります。医療施設の面でも充実した地域だと云えます。
日用品や食材などのお買い物は車で8分のところにあります、
全国区のTVでも紹介されている「ひまわり市場」は全国から買い付けてくる
珍しい食材や新鮮な地元の野菜と鮮魚の目利きが市場から取り寄せてくる。
地元や別荘利用者からも愛されるスーパーです。
お向かいのドラッグストアウェルシア、お薬は当然の事、食料品、お酒や日用品、
も揃う便利なお店もあります。
当物件のある、大泉町西井出エリアは、日常生活においてほとんどをこのエリアで
過ごすことが出来る、田舎暮らしに最適なロケーションです。特に子育て世代には、
申し分のない田舎暮らしに適した地域と云えます。 さあいよいよ後半は物件詳細に
ついてご報告になります。よろしくお付き合いください。
長々とお付き合いありがとうございます。
そんな私が八ヶ岳山麓での生活の日々をインスタグラムで
紹介しています。ご興味がございましたら、チェックしてみてください。
www.instagram.com/yatsugatake_foot になります。
よろしくお願いいたします。
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投稿者プロフィール
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10年前に東京から八ヶ岳に移住してきた、三人娘の父。
山の中のギャラリーを運営中。
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